“RUN” それは魔法の言葉

私とコンピュータの思い出を、だらだらと綴ります。最近はHSP3でのゲーム作り日記です

思い出のゲーム達:12.魔城伝説(コナミ)

今回の思い出のゲームは、MSXの、「魔城伝説」
www.youtube.com

このゲームは、友人Kが持っていて一緒によく遊んだ。
MSXオリジナルの縦スクロールシューティング。
このゲームの特徴は、地形があること。
主人公の騎士、ポポロンを操作するのだが、目の前に川があると、渡れない。橋が必要なのだ。
橋を通っている間は、左右方向の動きを制限されるので、敵の攻撃を受けやすかった。
スターフォースのようにパネルが隠されていて、撃ち込むと出てくる。

そして、各ステージのボスがMSXにしては、多彩でデカいキャラだった。
BGMもカッコよくて、今でも口ずさめるほどw
クリアしたかは覚えてないなぁ。

33.PC-9801NS/T?R?を買った(NEC)

高専は5年制で、卒業するには、大学のように卒業論文を書かなくてはならなかった。
卒論のテーマは、2人でソフトを1本作成することにしたので、パソコンが必須。
この時はPC-98一択。Turbo Cで開発をすることになったが、研究室に割り当てられる98はわずか。
そうすると、プログラムするために、夏休みはほぼ研究室に行かなきゃならない。
これを阻止するために、当時はノートパソコンというにはどでかく、重いPC-9801NS/T(もしくはR)をバイトして購入。
初のNEC製パソコン購入で、最後のNEC製パソコンになった。
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http://www011.upp.so-net.ne.jp/kjts/9801nst.htm

モノクロ8階調で、反応速度もゲームボーイに近いぐらいの残像がバリバリの液晶に、約3キロと、今のノートパソコンからは想像できないヘビーウェイト。
学校に持っていけなくはないが、毎日は絶対に持っていきたくない重さだった。

20万オーバーだったので、HDDは非内蔵の一番安いモデルを購入。後日バイト代をためて、170MB(GBじゃないよ!)の内蔵HDDを、ベーマガの広告にあった秋葉原のショップから、通販で買ったなぁ。
当時は安くなってきたとはいえ、3万オーバーしていたと思う。

自宅でソフトの開発をするには、まったく問題ないスペックだし、学校にある98よりも速かったので重宝した。
結果、夏休みに学校に行ったのは、進捗確認で2回だけ。それ以外はほぼ毎日バイトしてた。他の研究室の面々からは、羨ましがられた。

就職で関東に行くことになり、一緒に持っては行ったけど、ほぼ使用せず、稼働はわずか1年だった。

32.MSX2+を買った(ソニー HB-F1XDJ)

MSX2でも、まだファミコンと比べるとアクションゲームは貧弱だった。
そんな中、さらに強化された MSX2+ 規格が登場した。
この頃になると、松下、ソニー、三洋の3社しかMSXを出さなくなっていた。

進学してバイトすることで、資金力が大幅にアップ。ソニーMSX2+ HB-F1XDJを買った。
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MSX2+では、ついにハードウェア横スクロールが実現。
また、自然画モードと呼ばれる、1万9千色の表示モードが加わった。
漢字ROMも標準搭載され、今ではデカ文字といわれそうなぐらいの文字サイズだが、漢字も表示できた。

ソニーMSXは、連射とゲームスピードコントローラがついていた。
そして何よりMSX2+規格では標準装備となったフロッピーディスクドライブがついていたのだ。
それまでデータレコーダーでテープに録音していたプログラムが、サクサク保存でき、読み込めたのだ。

結局FDDのゲームが遊べるようになっただけで、ここでもプログラムをすることはしばらくなかった。

31.学園祭の思い出

高専では、毎年秋に学園祭が開催された。
運動系の部は、模擬店を出し、バンド系の愛好会は、ステージで演奏する年に一度の見せ場。
文科系の部は、地味に展示をしたりするだけ。

コンピュータ系の部活に所属していたのだが、伝統のように占いを作って、無料で結果を印字して配っていた。
占いといっても、「カバラ数秘術」という生年月日から誕生数なる数を計算して、それに合わせてどんな人か、などが書いた本をそのまま丸写しするというものだった。
占いというより易に近いのかな。

そして、メインのプログラムはできているので、低学年の部員は、ひたすら本の文章を入力する係になるのだw

構造は単純。あらかじめ、配列変数にそれぞれの誕生数に合わせて書かれた文章を格納しておき、PRINT文で表示するだけ。
誕生数の計算も、ほぼ数行でできるから、プログラムの大半はDATA文。(笑)

こんなものと中身を作った方は思っていても、無料だし、そこそこの文章量で印字していたので、毎年好評ではあった。

でも、学園祭のメインはこれじゃない。
この時期は、徹夜して学校に残ってもよかった。そこで、電算室にこもって、夜通しゲーム大会が行われるのだった。
プロジェクターがあったので、各自でゲームハードを持ち寄って、大画面に映して遊んだものだ。
一番遊んだのは、スーファミストIIだったかな。ひたすら対戦したなぁ。

5年生になり、高専最後の学園祭でのお話は、別のエントリーで。